中国清朝研究期

[1882年(明治15)頃 - ]

精緻な細工を特色としていた初期眞葛焼だったが、1882(明治15)年を境にこうした写実的な作品の制作数が著しく減少する。初代宮川香山が彫刻的技法にある種の達成感を抱いていたこともひとつの理由と考えられるが、二代香山はのちに、「外国人が濃厚な作風に飽き、日本本来の趣味である清楚淡白なものを好むようになってきたからであった」と語っている。
初代宮川香山がまず行ったのは中国清朝の磁器を研究し、模倣することによってさまざまな新しい色の釉薬や釉法を開発することであった。