高浮彫

[1876年(明治9)頃 - 1881年(明治14)頃]

当時、欧米では金泥や金粉などでピカピカに彩られた京薩摩などが人気であった。しかし初代宮川香山は、陶器の素地の風合いが金で覆い隠され美質を損ね、原価もかさみ好ましくないと考えた。そこで、一種の「白薬陶器」を発明し、金で模様を描く代わりに精緻な彫刻や細工を施し、自製の釉薬で彩色を施した。
 これこそが初期の特徴的な作風「高浮彫り」である。